愛されるワケ

この秋、円谷プロダクションが経営難から映像制作会社の傘下に入ったというニュースを耳にされた方も多いでしょう。 引き受け手のTYOの記者説明会を聞いて特撮ファンはかなーりムカツイた。 以来ネットでは多くの意見が出ているが、私もそのひとり。遅ればせながら一言モノ申したい。

会見でのポイントは何より「コスト削減」である。経営難でのグループ入りなのだから当たり前の話ではある。「制作費がかさむのは何より手作りのミニチュア制作であり、戦闘シーンでの背景はCGを駆使する事で安価でしかも短時間に制作出来る」の主張も多少なりともわかる。ただし「リアルではないし『チャチさがいい』と言うのはオタク。あまりにも少数の異常な愛着にこだわってはいけない」ときたもんだ。

円谷のウルトラマンシリーズがかくも長きにわたってファンを獲得してきたひとつの要素をこうした一言の元に切って捨てるというのはどういうことか。「古き良き伝統」の名の下に新しい要素を何一つ取り入れない、と言うのは愚かな事だが、ファンがミニチュアの戦闘シーンや特撮を愛してきたのは、決してただのオタク思考でもなければノスタルジアでもない。これはひとつの文化のカタチであった。
スター・ウォーズが公開された1977年、CGのすばらしさは私を魅了した。こんな映画が作れるんだ、と言う衝撃とあの興奮は忘れられない。それとこれとは違うんじゃないかと思う。アナログ→デジタルが進化であり、古いモノは「時代遅れ」とする考えこそ視野が狭いんじゃないの。「チェブラーシカ」や「ミント」などのパペットアニメーションやノルシュタインの影絵など高い評価を受けているものも数多く、それは決して懐古趣味ではなく時代を超えて持つ普遍性に他ならない。

ウルトラマンシリーズに欠かせないソフビ人形。ぎんぐり劇場でもしばしば登場する怪獣たち。こども達は今も怪獣とウルトラマン、自分の家のミニカーやブロックを使って「ごっこ遊び」「見立て遊び」に興じる。まさにミニチュアでの特撮戦闘シーンである。新旧連綿と作り続けて来られたソフビ怪獣だが、オークションでの昭和時代の物はたいへんな高値がついている。これも「異様なオタク文化」とされるのだろうがそうではない。子供の頃への郷愁が無いわけではないが、当時の町工場の職人さんの金型から作り出された怪獣の、大きなデフォルメやポップな色彩の吹きつけ、いびつとも見える造形に、時にユーモラス、不気味さ、哀愁まで盛り込まれて魅力を放っているからだ。
ヒトの手による造形をなめてはいけない。特撮世界では「リアル」という価値がすべてをしのぐわけでもない。TYOには円谷プロが時代を超えて愛される作品を作り続けて来た事をどうか真摯に受け止めてもらいたいものである。